くりぐりライフブログ

ヤギ平、ヤギゑによるクリエイトグリーンのブログ。農業とお金の教養を広めるため書いていきます。

小さな経済~村を創りたい

こんばんは。

ヤギ平です。

 

こないだは評価経済についてブログを書かせてもらいました。

読んでくださった方、ありがとうございます☆

 

読んでない方、この記事です。

 

www.create-green.com

 

で、この記事の中で最後の方に少し触れた「小さな経済」について今日は書いてみようかなと思います。

 

実は僕、

「村」を創りたいんです!!

 

は?

 

って感じですよね。

 

まぁ詰まる所、国や企業に頼らずに生きていける共同体ってやつを作りたいんですよね。

 

ただここの大事なところは社会から全く切り離されて生きていくことは出来ないこと。

 

前回もお話しましたが、今の世の中は貨幣経済。

だからこそお金という概念は必要になってきます。

 

もちろんこれからは「評価経済」「信用社会」になっていくのは間違いないことだと思いますが。

 

そしてそのお金は「小さな経済」同士をつなぎ、やがては「大きな経済」になっていくんだろうと考えています。

 

要するにこの世の中は小さな経済の集合体が大きな経済を作っていく。

そんな流れにあるんじゃないかなと思います。

 

 

 

目次

 

じゃあ今の経済ってどんな感じ??

今の経済は日本のバブル経済以降、大きな経済の中に小さな経済というのはあまり存在しなかったんじゃないかと考えてます。

 

みんなが同じようなモノを持ち、同じような生活をすることで、地域ごとの特性や違いが見えにくい時代が今だと思います。

 

その時代の支配者(という言い方をすればいいんでしょうか)は大企業だったり、国家、そして世界の大権力者になります。

 

まさに均質的、同じような生活をしているのが今。

ということです。

 

よく聞く言葉に「人と違うようになりたい」「人と違うものを持ちたい」というのがあります。

 

 

分かる人はもう分かると思います。

 

「よく聞く」んです。

「みんなと違う風になりたい」と、「みんなが言うように言ってる」んです。

 

それは何か大きなプロパガンダに操作されているのかもしれません。

僕は実際そうだと思っていて、それが「現代の大きな経済」なんじゃないでしょうか。

 

どうして「同じ人ばかり」の時代になったのか。

まずは「現代の大きな経済」になる前はどういう時代だったかをイメージしてみましょう。

 

戦後の日本をイメージして頂くと分かりやすいのではないかと。

戦後の日本はそれまでにあった富豪貧民の格差が少し和らいだ(戦火によって財産を失う人が多かった)中、敗戦からの復興という大きな目的のために日本総国民がバリバリと働いた時代。

そこには「隣組」という考え方が存在しており、何事も助け合い、連帯責任。

 

そして今ほどインターネットやSNS、交通機関も発達してなかったため、地域ごと、集落ごとの関わり合いが今よりも色濃いものだったと聞きます。

そしてこの時の町のイメージは町工場が乱立し、家族単位での仕事、つまり商いを行っていることが多かった。

お父さんであり、社長であるという具合に。

 

その時は近く同士の家族で足りないものを補い合い、与え合うこともしばしば。

隣組や村ごとでの社会が成り立っていました。

小さな子供の世話なんかは少し年上の子どもたちがお兄ちゃん、お姉ちゃんとしてしてくれるし、そこには子供たちの小さな社会も存在していました。

 

そしてそういった小さな社会、経済が各地に存在し、各地のパワーが日本の経済を動かしていったということです。

 

そしてそれから間もなく、日本はバブル経済を迎えます。

例えばオールウェイズ三丁目の夕日の時代。

 

吉高由里子がかわいかったですね。

 

その話は置いといて。

 

三種の神器と言われる白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫。

そして少し経つとカラーテレビ、クーラー、自動車。

 

こういったものを日本国民が羨望のまなざしで夢として追いながら生活をしていました。

そして経済復興の大号令のもと、働けば働くほど給料も上がり、頑張ればほしいものは手に入る時代になりました。

 

その時代では憧れの的を目指して奮闘前進。

日本全体が活気に満ち溢れていました。

 

今ではテレビ、クーラー、洗濯機、冷蔵庫、携帯電話。

みんな当たり前のように持っています。

 

そうなんです。

確実に幸せに向かって、その幸せを手に入れたんです。

 

 

なのになんでですか??

 

 

三種の神器を手に入れたはずなのに

昔では考えられなかったハイテクノロジーを手に入れたはずなのに

 

当時の日本人に対して郷愁のような懐かしさや温かさを感じてしまうのは僕だけなんでしょうか。

 

バブル経済期の活気に溢れた経済や、隣組が存在したようなご近所づきあいを大切にしていた(いやせざるを得なかったという言い方もあるな)時代にです。

 

また手に入れたものと引き換えに失ったものもあります。

 

三種の神器を手に入れる反面、失ったものはなに?

 

それは「人と人とのつながり」です。

 

三種の神器を手に入れたことで、近所の家にテレビを見に行くことも無くなり、コインランドリーで近所の人と井戸端会議をすることも無くなりました。

 

今はSNSでつながってると言いますが、今風の言い方をするとリアルでの付き合いこそ本質で、SNSでのつながりはそのきっかけだったり、潤滑油だったりするものだと思います。

 

もちろん今の世の中でSNSは必須です。

僕も手放せないものになってます。

 

ただその一方で失ったものは、当時への懐かしさという形で、僕たちの胸に戻ってきている人も少なくないと思います。

 

僕の作りたい「村」ってなに?

色々なスキルを持った人同士で補い合いながら暮らせる場所、コミュニティです。

 

やっと本題ですねw

 

本題なんですけど、もう答えは出ているので、上の通りですw

 

例えば衣食住。

服を創れる人、農業で食べ物を創れる人、家を建てたり修理出来たりする人。

簡単に言えば、こういうスキルを持った人たちで、スキルを出し合って暮らせる場所を創りたい。

場所が無理ならコミュニティを創りたい。

 

これが僕の夢です。

 

なーんて言ってたら坂口貴徳さんという人が同じようなことをブログで書いてるって知人に教えてもらいました☆

lineblog.me

 

おもしろそー!!

 

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そして僕の周りにはいろんなスキルを持っている人が多いし、この小さな経済ってまさに「評価経済」「信用社会」の小さな単位だと思うんです。

 

巷では個人の信用ばかりがフォーカスされていますが、コミュニティや団体の信用も評価されるようになるでしょう。

 

そうするとこの「小さい経済」が意味を成してくるということです。

 

今日はここまで。

自分の想いを取り留めもなく書いてしまいました。

長々とお付き合いくださり、ありがとうございます。

 

おやすみなさい。

 

ヤギ平